「美しくなりたい」は社会によって操作された感情かもしれない

最近、私の頭の中を埋めつくしている疑問がある。

人はなぜ「美しくなりたいと思うのか」である。

「小さい目を大きくしたい」
「低い鼻が嫌だから、鼻を高くしたい」
「美容整形がしたい」
「〇〇さんの顔が好き」

女性の頭の中では、コンプレックスを解消したいと願っていたり、誰かしら理想とする人物がいる。

願わくば理想とする人物に近づきたいと、モデル・女優の写真を美容外科クリニックヘ持参し、美容整形を決断する人もいる。

一歩視点を変えてみると、なぜここまでして、“美”のために行動するのだろうと思えてこないだろうか。

筆者自身も美容整形で顔を変えてきた身として、自分の行動にも疑問に思うことがある。

他人の容姿を比較するから?
コンプレックスを解消したいから?
自信を持ちたいから?
醜い顔が嫌だから?

この気持ちは一体どこからくるのか。

この疑問を解決するために美醜に関する本を買いあさり、答えがないか探した。

しかし、筆者が求める答えはなかった。

そこで今回は美容整形をしてきた立場として、「人はなぜ美しくなりたいと思うのか」の根源に対し、個人的な結論を述べたい。

自己満足やコンプレックスの解消などではなく、美しくなりたい気持ちは『社会によって操作されている』と結論つける。

この結論を説明するにあたり、

  • (1)西洋化した美の基準
  • (2)メディアによる比較対象の拡散
  • (3)他者との関係

上記3つについて、順に説明していきたい。

(1)西洋化した美の基準 〜日本の美=西洋の美〜

顔の系統は複数あるものの(綺麗、可愛い、童顔)、

  • 大きい目
  • 高い鼻
  • 小顔
  • 美しい肌

このような顔が、現代では共通した『美の基準』になっている。

平安時代の日本では、下膨れ・細い目・低い鼻の女性が好まれたという話は有名だが、現代と比較するとガラリと美の基準が変わった。

平安時代末期の『源氏物語絵巻』では、下膨れの丸い顔に細い目と低い鼻の「引目鉤鼻」が特徴的な弥生顔が宮廷の美人として描かれています。江戸時代には瓜実顔で顎も細く鼻筋が通ったタイプの骨格が登場します。江戸後期の喜多川歌麿の頃になると、美人の顔は極端に面長に描かれるようになります。それが当時求められた美人だったのでしょう。

引用元:@niftyニュース 日本の伝統絵画からわかる「美人の美術史」
https://news.nifty.com/article/item/neta/12180-121302/

変化した大きな理由は、戦争である。

戦後、西洋人の顔立ちに憧れる女性が増え、一重まぶたを二重まぶたに。

低い鼻は高くする美容整形が盛んに行われはじめた。

日本で最初の二重瞼を作る美容整形は、1896年、ミカモ(美甘光太郎)による重瞼術と考えられている。戦争中は再建が優先され、一般に浸透してくるのは戦後である。

引用元:(著)川添 裕子/美容整形と<普通のわたし> p.97〜p98

当時は技術が進歩していなかったため、鼻にロウ(ワックス)や液体のシリコンを入れる隆鼻術が行われていたそうだ。

(100%に近い確率で合併症が起きていた)

さらに『黄金比率』も浸透している。

この黄金比率も、もともとは西洋文化である。

黄金比を発見したのはエウドクソス(紀元前408年頃~紀元前355年頃)で、その後古代ギリシアの彫刻家であるペイディアス が初めてパルテノン神殿建設時に使ったと言われています。

引用元:ferret(フェレット) 人が嫌でも美しいと感じてしまう黄金比って?鉄板ルールと使えるツールを紹介 
https://ferret-plus.com/1494

黄金比率とは1:1.62の比率のことで、人が「美しい」と感じやすい比率だと言われている。

建物、デザイン、名刺などさまざまな部分で用いられ、顔に対しても、黄金比率をもとに美しく見える比率が細かくさだめられている。

その黄金比率に基づき、美容整形をする人も少なくはない。

「そんな人いるの?」と思うかもしれないが、まさに西洋文化に翻弄されて美容整形をした人物が、この記事を書いている。

このように細い目、低い鼻といった”アジア人らしい顔立ち”は、戦後を境に”美容整形をする対象”へと移り変わり、日本での美の基準はすっかり西洋人化した、と言える。

(2)メディアによる比較対象の拡散 〜美しい人が見えすぎる問題〜

テレビをつけただけ、パソコンやスマートフォンを操作するだけで、簡単に情報を収集できるようになった今の時代。

情報の一環として、”容姿が整った人物”を目にすることも容易だ。

例えば、インスタグラムでは『インスタ映え』と称し、きらびやかな写真を投稿するのがステータスになっている。

容姿のよさもインスタ映えのひとつになり、多くのフォロワーを集めているアカウントも多い。

その他、化粧品・シャンプーなどのCMや広告に起用するモデルは、当然のように容姿が整った人物を起用している。

こうして意図的に探さなくとも、テレビ、パソコン、スマートフォンを通して、自分よりも容姿が整った人物を目にすることができる。

むしろ強制的に、美醜のヒエラルキーの頂点にいる人たち(比較対象)を見せられているとも言える。

ここで問題なのは、本来出会うはずのない、知るはずもない人たちを一方的に知ったことで、自分の中で『比較対象が増える』ことだ。

比較対象が増えれば、自然と容姿の優劣をつけることになり、自分が劣っているか否かを日常的にジャッジすることにもなる。

それがコンプレックスの増幅の引き金となり、女性の「美しくなりたい」気持ちが誘発されているとも考えられなくはない。

(3)他者との関係 〜美容整形の動機はすべて『他者=社会』に影響されている〜

『社会』という大きな枠の中で生きている私たちは、その中で円滑に生きようと容姿を変えることもある。

人それぞれ動機は異なるが、よくある美容整形の動機をみてみよう。

  • コンプレックスを解消したい
  • 自信を持ちたい
  • 自分の顔が醜いから(ブサイクだから)

一見すると個人の問題のように思えるが、すべて『他者=他者の集合体=社会』が関係している。

例えば「コンプレックスを解消したい」のコンプレックスは、正しくは劣等感を指す。

劣等感とは、他者と自分を比較した時に、他者よりも劣っていると感じる感情のこと。

自分自身だけの問題ではなく、他者がいることで初めて起きる感情だ。

自信を持ちたいというのも、『自信を持ちたい(他者の前で)』という条件付き。

自分の顔が醜く感じるのも、何かしらの比較対象がいなければ、醜いとは思わない。

つまり私たちが「美しくなりたい」と思うのには、少なからず『他者=社会』に影響を受け、行為や選択を左右されていると考えられる。

また、筆者を含め、反射的に美容整形したくなる女性は多い。

重たいまぶたをパッチリとした二重まぶたに。低い鼻を高くし、団子鼻をシャープに。

大きな顔を小顔にするために、脂肪を吸引したり、注射をしたり、骨を削ることさえもある。

二重まぶたの人が、一重まぶたになろうと手術を受ける人は少ないように『二重まぶたが美しく、一重まぶたは美しくない』という基準が、世の中に自然と出来あがっているからだ。

美容整形という選択と行為は、『社会によって操作されている』と表現しても過言ではないだろう。

「美しくなりたい」は社会によって操作された感情か

この記事を書きながらも、筆者は「美しくなりたい」と感じる。

自分の顔に納得できない。

美容整形でパーツ、輪郭、骨格まで変えた今でも、自分の顔は醜いとさえ思う。

世間では美容整形に対し「ちょっと変な人」がやるものだという偏見があるかもしれない。

確かに病気でもないのに顔の骨までいじるというのは、健全とは言いにくい。

しかし、美容整形をしている、またはこれからしようとしている人と関わっていると、誰もが本気だと分かる。

本気で悩んでいる。

そして必死に働き、大金をかけ、痛みに耐える。

美容整形という、未だに偏見のある世界に飛び込む。

人はなぜここまで美しくなりたいのか。なぜ醜いと感じるのか。美容整形がしたくなるのか。

なぜ私たちはそこまで美に翻弄されるのか。

それは、

●美の基準が西洋化し、当然のように『西洋の美=日本の美』になっている(西洋化した美の基準)

●メディアにより容姿が整った人物を見る機会が増え、劣等感を刺激している(メディアによる比較対象の拡散)

●美容整形の動機は自己ではなく、他者から生まれる(他者との関係)

こうした『社会』を通して音を立てずに影響を受け、私たちは美的価値観、思考、行動を左右されている。

それも、内側からごく自然に。これが現時点で得た答えである。

また、『(1)西洋化した美の基準 〜日本の美=西洋の美〜』でも言った通り、美は初めから決められた形ではなく、歴史によって変化してきた。

変化するのであれば、もしかしたら美の基準が反転し、”アジア人らしい顔立ち”が美醜のヒエラルキーの頂点に立つ日がくるかもしれない。

とはいっても、これはあくまでも夢物語である。

これまでの歴史を返ると、美の基準が変化するまでに何百年以上かかってきた。

アジア人顔が美の基準になるかどうかも分からないまま、お行儀よく待っているうちに、あっという間に灰になってしまう。

歴史からすれば、人の一生とはほんの一瞬なのだ。

それなら、与えられた人生をより良く生きるために、容姿を変える選択は大いにメリットはある。

だから、美容整形の選択は決して間違いではない。けれども顔が変わる代償に、リスクもあることを忘れてはならない。

その美容整形の選択、美しくなりたい気持ち、自分の顔が醜いと思うこと。

社会を通して一方的に、何気なく受動的に、現代の『美の基準』を当然のように受け入れている可能性もあるかもしれないと、今一度あなたの”気持ちの裏側にあるもの”を覗いてみてほしい。

美しさを求めている考え。それによって引き起こされている行為。

それは本当にあなたが、心の底から求めているものだろうかーーーー。

参考文献・参考サイト

<参考文献>

<参考サイト>
iVOCE 美容整形編
美容外科手術と外見――「普通になりたい」
qooneLL(クーネル) 歴史に学べ!昔のヨーロッパではぽっちゃりが良しとされていた!? 
GiGaZiNE 古代エジプトから現代まで「理想の女性の体型」が移り変わる歴史の流れがわかるムービー
@niftyニュース 日本の伝統絵画からわかる「美人の美術史」

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